ノマド探求

二次元移住準備記

本の処理に困る。

一年前ぐらいから不要な本を売ろうと考えている。これは駄賃を稼ぐというよりも,移住の準備を進めるため荷物を処分したいからだ。英語の参考書やIT関連の本などはギリギリまで手元に置こうと考えているので,画集や哲学書などの趣味の類いが段ボール一箱分,部屋の片隅で鎮座している。一層のこと捨ててしまうという手っ取り早い方法あるが,日本を離れた後は,恐らく長期間に渡り収入が途絶えることになるので,金になる物はできるだけ金にするようにしたいし,そういう癖をつけておこうと思う。

なぜ一年も放置していたかといえば,単にどこに売れば良いのか分からなかったからだ。郵送で引き取ってくれる業者は多数あるが,どこが一番高く買い取ってくれるのか探すのが面倒で,手をつけていない状態だ。暇な時にネットで業者を調べているが,輸入した本は引き受けてくれなかったり,画集などの趣味本は高く買い取るが,学術書は買い取り価格が安いなど,業者を一社に絞ることができない。調べるのも時間がかかるし,またのその時間がもったいないので,去年は何もしていなかったが,今月中には売り払いたい。高く売れなくても,売り払って移住の準備を進める方が優先だ。

それに,買い取ってくれる業者を探すのに時間と手間をかけるのが,少しアホくさくなってきた。何もせどりで生計を立てようとするわけではない。捨てる物を少しでも駄賃に変えることができれば,それで目標は達成するのだ。金にできる機会があるうちに金になるものは金に変えて,さらに次の機会に備えればいいだけなのだ。欲深い貧乏人にありがちなことで,損をしたわけでもないのに,少しでも高く売れる機会があったことに気付くと,猛烈に損をした気になる。そして,物を溜め込み,結局は金を手にする機会を失うことになる。日本昔話にでてきそうな行動原理があてはまってしまう。

今月末のTOEICに向けて。

今月末にTOEICのL&Wテストを受ける。単語とか文法とか,普段は敬遠している英語の勉強はテストでも受けない限りやる気にならないので,半年に一回,定期的に受けるようにしているのだ。スコアは800点前半まで上げたが,一気にポンと上がったわけでもなく,10点とか20点のレベルでゴリゴリ一進一退を繰り返している。まじめに勉強をしてもこれぐらいなので,勉強をしないと一気にスコアは落ちてしまう。

今月は仕事が忙しいこともあり,なかなか勉強時間を確保することができない。また,四月に基本情報処理の試験を受けるつもりなので,その対策と勉強に時間を費やすことになる。勉強には平日の通勤時間を当てて毎日一時間ぐらい。休日は遊びに行く時の移動時間などで,これも一時間ぐらいは確保しているが,やはり少ない。休日に机に向かって勉強できれば良いが,意欲はあっても行動が伴わないのが痛いところだ。

仕事では調査履歴を書いたり,技術文書を読んだり,海外の担当者と連絡したりする時に英語を使っているので,多い日だと一日中英語と接している時もあるが,飛躍的にTOEICのスコアは伸びていない。情報の発信には正確な文法の知識が必要なので,そちら意識がいってしまうのもあるし,仕事で使う言い回しや単語はほぼ決まっているので,TOEICが対象とする範囲とはズレているのかもしれない。しかし,英語への意識は今の仕事に就く前と比較して,かなり高くなったのは事実だ。特に助動詞と基本的な動詞については文法書や辞書などで繰り返し確認するようになった。

成人式の思い出。

成人式には出られなかった。二年目の浪人生活を送っていたため,進学している同級生と会うことで,行く末の分からない自分の人生を直視させられるのが辛かったのだ。何も悪いことはしていないし,浪人していることは恥ずかしいことではないのだから,出れば良かった。しかし,社会の隙間にスポっとはまり込み,身動きが取れなくなっている自分が格好悪くて仕方がなかった。また,社会から阻害されているような被害者意識もあった。

定まった生活を送っていないことで精神的に辛いことは,今でも度々ある。特に二十代の頃は,散々な目に遭うことが多かった。世間体に敏感なお年頃だが,自意識を圧し殺す術を持たないまま迂闊に社会と交わったことで,しばらく立ち直れないほどの屈辱を味わったことは一度や二度ではない。冠婚葬祭などで親戚と会った時に体裁が悪いとか,久しぶりに級友と再会した時に社会的格差を痛感させられるとか,社会から距離を置けば避けられることもある。実際に,二十代の後半までは身を潜めるように生活していた。

社会との距離を縮める転機となったのは,二十代後半から働き始めたアルバイト先に同じような生き方をしている人がたくさんいたことを知ったからだ。そこに加わることで居心地の良い社会があることも知った。もし,あの時の同僚と会っていなければ,今でも社会から遠く離れて生きていたかもしれない。そして,二十歳の頃にあのようなアルバイト先で働いていれば,成人式に出ていたかもしれない。人との出会いを含めて,どこでどう生きていくかというのは,幸せのあり方としてもの凄く重要なことだと思う。

ちなみに三浪までしたけど,大学には行くことはできなかった。