ノマド探求

海外移住準備記

ノマドの特権。

虐げられる流浪の人々のように職を追われ、職安通いの合間にチラシ配りもしたりする。これがノマドワーカーかというと、ちと違う気がする。

ノマドワーカーという言葉には、働く場所を選べる権利と関係がある。それは、居心地のよい自分の部屋でもいいし、青山あたりのおしゃれなカフェでもいい。しかし、マグロ漁船や地雷原で働くことは、ノマドはお金のために働く場所を選ぶことではないので違う。働く場所を選ぶ権利は、あくまで精神的な充足感を得るために行使されるということだ。

労働の概念を根本から覆すグーグルのオフィスなんかを考えると、この特権が少しは理解できると思うが、ノマドとグーグルオフィスの組み合わせには違和感がある。新幹線の中でポテチを食べながら、見積書を作っている出張中の営業マンの方がよりノマドだ。すると、ノマドワーカーには移動が伴う必要があるのではないか。このアチコチに移動できることが、特権なのかどうかを次に考えてみたい。

出張を上司から命じられ、日本中を新幹線で移動しているとしよう。もう、命じられている時点で違う。強制されてはいけないのだ。

次に、全面禁煙の仕事場で、仕事時間中にプラリとタバコを吸いに表に出ることはどうだろか。これはノマドっぽい。移動距離が短くても、自分で場所を選ぶ権利を持っている。プラリと喫茶店に行って、会議の資料とかを作っていれば、限りなくノマドワーカーに近いのではないかと思う。ただ、わざわざノマドなんて言葉で表現しなくても、いいような気もする。

ここで気づいたのは、ノマドか、そうでないかの違いは、喫茶店とカフェの違いなのではないかということだ。ベローチェではダメなんだ。最低限、スタバでないとダメなんだ。ほこりっぽい、びゅんびゅん車が通る大通りに面したおしゃれなカフェで、表のオープンテラスのような席に座り、一杯600円のコーヒーを頼む。そして、フーとため息をつきながらAirMacを開く。これが、ノマドワーカーだ。

ベローチェで喫煙席に座り、騒がしいおばちゃんたちの喚声に包まれながら、ゲフーとげっぷをして、おもむろに会社から支給されたASUSのノートパソコンを開く。これは、ノマドではない。

だんだん核心に近づいてきた気がする。