ノマド探求

海外移住準備記

負の連鎖。

移住したい動機は何だろうなと,ここ最近考えている。考えられる動機にはいくつかあって,その中でも大きいのは移住できる環境だから移住するという間抜けな動機だ。移住ができる移住しやすい環境なのだから,移住したい,むしろ移住しなくては損だという考えだ。もらえる物はもらっておこう的な安易かつ浅薄な動機だが,これがどうして俺の中では物事を判断する時に,意外な比重を占めているのだ。

こういう考えをするようになったのは,非正規雇用で長く働いているせいもあって,微妙な社会的な位置づけに端緒がある。社会的な責務が免除される代わりに,社会的な存在感もない,この環境が発端になっている。新卒で入社し,正規雇用で働き続けた人であれば,俺の年齢では普通は管理職や現場の主力として,ある程度の期待を受ける立場にあるだろう。俺にはそれがない。期待されるとしても,誰かの邪魔にならないように,払う時給分は働いてくれよという期待ぐらいなものだ。この程度の存在感なので,いなくなっても誰も困らないし,よそに移りたくなくても誰も引き留めはしない。また,普通の人であれば結婚をし,子供がいるいないは別として自分の家庭を持つ年齢だ。一家を支えるか,主夫としてかいがいしく嫁と子供の世話を焼くか,いずれにしろ嫌でも存在感は増していくが,俺の場合は自分の家庭を持つ以前に彼女はいないし,友達も片手で数えられる程度しかいない。そもそも,相手が友達と思っているかどうかも怪しいけど。この薄い社会性が移住したいという動機の発端になっていることは,間違いない。

この境遇を恨んではいないけど,だからといって満足はしていない。ここから,普通の人が当然得ているだろう物を手に入れられないのであれば,せめて普通の人が手に入れられないだろう物を得てやろうという貧乏根性がはびこり,そして俺の行動原理の一つになった。これはルサンチマンとも言い換えられるだろう。社畜は悲劇だねとか,ブスな嫁とクソガキに囲まれた生活は悲惨だねとか,そのぐらいのひがみ根性はいいとして,それがさらに伸展し,非正規雇用で独身の俺は自由で幸せだなと言うようになると根が深い。それが本心ならまだいい。実は切望しているが手に入らないので,悔し紛れにすかしっ屁を放ち,その硝煙を自分で嗅いで懊悩しているのだとしたら,今度はそんな自分を肯定するために社会通念から逸れた行動を取らないと納得ができなくなる。これが,今の俺のやろうとしていることだ。そして,そうすることで,ますます社会復帰は厳しくなり,そのことがさらに頓狂な行動に拍車をかけるという,負の連鎖が連綿とつながっているのだなと思う。あぁ,怖い。誰か俺を幸せにしてくれる人はいないかな。