ノマド探求

二次元移住準備記

ノマド再考。

数年前,ノマドワーカーという言葉が注目を集めた。職場を選ばない働き方が新鮮で,生活様式というか一種の人生哲学のようなものだったと思っている。

最近は化けの皮が剥がれたのか,もとよりただ単に情報が入ってこないだけなのか,あまりこの言葉を聞かなくなった。毎週末,神保町の本屋街か丸ノ内の本屋で時間を潰しているけど,新書でもノマドワーカーについて書かれた本を見ていない。ビジネスパーソンという言葉で一括りにされた読者層の微妙な劣等感を狙い撃ちする,週刊ダイヤモンドやプレジデントなどの情報誌でも取り上げてないようなので,一種の流行だったのだろう。ただ,この言葉に妙に惹かれるものを感じて考え続けていた。

このノマドワーカーが目指すものは,自分で職場と時間を選べる選択肢だ。つまり,毎日満員電車に乗ってどっかの大きなビルに通勤し,決められた椅子に座って決められた時間に仕事をしなくてもいいという選択肢だ。もちろん選択肢の一つとして満員電車に乗って通勤して,新入社員にセクハラするという選択肢も持っている。だから,職場に席を用意できないので,その辺の喫茶店なり部屋干しの洗濯物が臭う自分の家なりで仕事をしてくださいと言われれば,それはもうノマドワーカーではない。この働く場所をどこでも決められるという自由は,ノマドワーカーの特権だ。

しかし,おしゃれな喫茶店でMacを開いて仕事をすることだけがノマドワーカーの魅力ではないはずだ。駅のベンチとか公衆便所の便座の上でLet's noteに向かっても,それはもうノマドワーカーだ。香港の安ホテルでもバンコクバックパッカー街でも,それこそママンの手料理が待つ実家でも,好きな場所で働けるのが魅力なのだ。そして,当然のことながら何かを犠牲にしなくては,この特権は手に入らない。