ノマド探求

海外移住準備記

履歴書をそろそろ書き始める。

そろそろ移住先での就職活動のために準備をしようと思っている。まずは,英文履歴書の作成からだ。しかし,英文であろうと和文であろうと同じことだが,四十歳を過ぎて正規雇用で働いた経験がないので,履歴書に何を書いていいのか分からない。当然,いつも炊きたてのお米のようにツヤツヤな履歴書ができあがる。

二,三年ごとに職場を変えているが,履歴書はその度に都合のいいように書き直す。いつも思うことは,アルバイトと派遣で働いた経験を職歴として載せるのは,もの凄く収まりが悪い。書くことがないので,備考欄がお似合いな参考情報を職務経歴として書いちゃいました,という申し訳なさを払拭できない。これが作品集の提出を求められるデザイナーのような職種だとまた勝手は違うのだろうけど,履歴書と面接だけが頼りのオーディション選抜の職種で仕事を探すと,騙しているような負い目を感じてしまう。検定や資格を取得するのであれば努力で何とかできる。しかし,職歴だけは過去に遡らないと取り戻せないので,タイムトラベラーではない小市民には無理なのだ。なので,過去の俺ではなく今の俺を見てくれ的なアピール以外,どうすることもできない。潔く諦めて,四十過ぎのおっさんの可能性に期待してくれる雇用主に出会えることを祈りながら,面接を受け続ける以外にない。そして,せめて取得した資格や検定が履歴書の中で自分の可能性を顕示できる唯一のことになる。

志望動機もかなりやっかいだ。どの職場でも雇用形態を意識することなく最善を尽くして働いてきたが,正規雇用で働いた経験がないと何を言っても信憑性がない。確かに責任はなくて気楽だし,世の中もそういう見方なのはよく分かる。しかし,大手企業の管理職に応募するならまだしも,その辺の一般事務に応募したのに偉そうな事を求められても,それはそっちの分不相応ということで来世で頑張りますとしか言いようがない。例えば倉庫で軽作業のバイトの面接で志望動機を聞かれても,手っ取り早く金が稼ぎたかったのでとしか言いようがなく,物流企業最大手の御社の一員としてうんたらかんたらと話しても,相手も鬱陶しいだけだろう。それと同じように,その辺の一般事務に応募して,でっかいマクロ経済の展望とそれに対する自分の立ち位置なんか話しようがない。そもそも,そんな巨視的視野から言えば御社などはミジンコのごとき存在だぞと。もちろん,当方も半分死にかけのゾンビに過ぎませんけれども。

さて,履歴書をどう書くかを考えてみる。嘘を言わないのは職業倫理として当然の事だ。かと言って,言わなくていいことを言わないのは,職業倫理には抵触しないと思う。なので,履歴書に書きたくないことは,原則書かない。それから,できる限りその会社が自分を雇うことでの費用対効果を考える。その会社でやりたいことを話しても意味はない。雇用主として興味があるのは,この目の前の腐りかけゾンビを雇うことで,どれだけその会社が利益を上げられるかなのだ。つまり,自分の商品価値を情報商材を売るように伝える必要がある。この商品価値なのだが,過去は過去として真摯に向き合うとして,履歴書を書くうちにこの資格とか検定は載せたいなとか,こんなことができると書けたら素敵だな,とか思いついたらしめたものだ。それが,自分の将来の可能性だ。昔深夜放送で観た映画の中で,登場人物の老人がつぶやいた印象的な台詞がある。

「人の価値を決めるのは,過去の栄光ではなく,未来への可能性だ」

この台詞にどんなに励まされたことか。でも,実際は面接する人が気にするのは過去の栄光だけど。その人間の可能性が一時間程度話したぐらいで分かったら,誰も苦労しない。でも,未来の可能性すら捨て去ってしまったら,本当に書くことがないではないか。