ノマド探求

海外移住準備記

理想の移住地。

移住先に求めることは,幸せな気分で毎日過ごせることだ。畢竟,そこで死ぬことができたら幸せと思える場所に住みたい。それが理想の移住先だと考えている。

幸せに死ねる条件が何かは,まだよく分からない。大好きな家族に看取られて眠るように死ぬのが幸せなのか,ほろ酔い気分で風呂に浸かったままポックリ逝くのが幸せなのか,死ぬ間際にならないと何とも言えない。ただ,今生きているここでは死にたくない。今住んでいる中途半端な繁華街の外れで孤独死をしても,地縛霊にならない自信はある。けれども,幸せにはほど遠い気がする。幸せな生活を送る中で,これが幸せなのだと分かるものなのだろうか。それとも,ここで死ぬと覚悟を決めた時に幸せが訪れるのだろうか。幸せに死ねる場所を探せば,幸せに生きることができそうな気がするのだ。

死に場所を決めるには,覚悟が必要だ。ここで生きていくと覚悟を決めた時に,そこが死に場所になるだろう。逆にここを死に場所と決めたら,死ぬまでそこで生きていくことになる。そんな場所がこの世にあるのかは分からないが,恐らく青い鳥を探しても見つからないだろう。経験則からして,幸せの青い鳥が自分の家にいたと気づいた時には,猫に食われているか餓死しているというオチだ。だから,カラーヒヨコを量産するがごとく,青い鳥を自分で生み出すようにすればいい。死に場所を見つけた時には,きっと鳥が青くなるのだ。これが宗教の正体でもある。けれども,最初からいないと決めつけるのも浪漫がないので,とりあえず探してみることにする。

こらえ性がないため仕事が長続きせず,勤続何十年の人に会うと賞嘆というよりも自分とは違う人間なんだと昔から思っていた。今生きている場所で死ぬ覚悟ができているから,仕事を変えずに生きているのであれば立派だ。しかし,感情を麻痺させてゾンビとして生きることを選んだのであれば,近づきたくない。履歴書と同じように心もツヤツヤなので,精神的な腐臭というものは敏感に嗅ぎとることができる。自分も社会的にはほぼ死にかけている存在なので,ゾンビから見ればどっちもどっちなのだろうが。

人生に疑問がないのかと聞くのも失礼で痛い話だし,そもそもそういう会話自体がゾンビとは成立しないので,同じようにプラプラと自分探しをする人としか,この話をしたことはない。生き難い社会だなぁ,と考えて結論を出したため,ここではないどこかに理想の地を求めていることは否定できない。覚悟を決めた人は,どういう経緯でここを死に場所に選んだのだろう。