ノマド探求

海外移住準備記

外こもりと内こもり。

内こもりという言葉があるのかは分からない。ただ,海外で引きこもることを外こもりというなら,日本国内で引きこもることは内こもりになるだろう。この二つのこもり方に違いはあるのだろうか。ここで言う引きこもりは,自室から出ることができないような状態のことではなく,ただ単にニート状態を満喫しているだけの状態だ。

日本で貯めたお金を生活資金にして,日本よりも物価の安い国に住み,悠々と生活することを外こもりという。世間一般でいう普通の人とは違う,世捨て人のような生き方だが,あまり悲壮感は感じさせない。逆に日本で引きこもった場合は,問題視され就業など社会生活への復帰を強く促される。内こもりは克服しなければいけない負の状態ということだ。しかし,引きこもる場所が海外か日本かは,根本的な違いではない。

日本で引きこもっていても,実家でなければそれほど問題視はされない。親の庇護の元に自室にこもり,惚けていることが世間の注意を引きつけるのだ。しかし,引きこもりを難詰する人が,敵意にも似た感情を向けるのは,なぜだろうか。経済に寄与していないのは生活保護者と同じだが,生活保護者と違い国から福祉を受けているわけではない。働かない人に対する嫌悪感が根底にあるのは確かだが,親の庇護を受けていることが敵意を引き出すのだろうか。親の庇護により働かず,社会から外れて生きる人がいるという事実は,世間では都合が悪いことなのか。世間の平穏を保つためには,親の庇護はあってはならないのだろうか。

外こもりをする人が海外で生活する理由の一つは,この世間から逃れるためだと思う。どこでどんな暮らしをしていようと,自室に引きこもるか山籠もりをするかしない限り,社会性を極限まで薄くできても存在を消せることはない。少しでも社会性が残っていれば,日本人として生きることを求められる。内こもりをするには,迫害にあう異教徒のように隠れて生きることが必要になる。引きこもる行為自体に,世間の価値観を揺るがす得体の知れないものが,にじみ出るのかもしれない。その時,引きこもる行為は,籠城にも似た世間に対する徹底抗戦の意思表示にもなる。内こもりに疲れた人は,親の庇護などを受けながら,日本の社会から外に出ざる得なくなる。