ノマド探求

二次元移住準備記

ウンコする人。

最近,仕事が忙しくて,何かをじっくり考えることがなくなった。資本主義の奴隷となり,人から与えられた目標とか役割とかに疑問を持たないのは楽な生き方だけど,それはゾンビとして生きるに等しい。何かに疑問を持ちじっくり考えることからは,充実感は得られないし金にもならない。しかし,それはそれで大切なことだと思う。

仕事中にもあれこれと思案することはあるけど,ほとんど目標は定まっている。これを達成するために次に何をやるかという,答えを見つけるために思案する。答えを見つけるために思案するのではなく,目標を考えること,つまりは問いが何かを探すために時間を使いたい。仕事を辞めようとか,このまま続けようかとか,そういう類いの思案だ。目的地までの道のりを考えるのではなく,目的地を探したいのだ。目的地が定まるまでじっとしている必要もないので,歩きながら考えてもいいが,疲労からただ歩き続けるだけのゾンビになりかけている。

自分探し歴は二十年以上になるが,未だに目標は見つかっていない。他の人はどうなのかと日々興味津々で飲みに行っても,すでに自分の目的地を見つけたのか,ゾンビになったのかは分からないが,そこまで深い話ができる機会はめったにない。そもそも最初からないのだとも思う。人生という壮大な暇潰しのために,何をすべきか問題になるが,人生の意味なんて自分で作るか他人から与えられるしかない。そして,それは人それぞれ違うし,良いも悪いも正解もない。公衆便所でウンコをしながら扉のシミや落書きを見た時,そこに何を見るかは人によって違うのと同じことだ。宝くじの当選番号に見える奴もいれば,女子高生の電話番号に見える奴もいる。そこに神様の顔を見て拝む奴もいるだろうし,自分の顔を見る奴もいるだろう。しかし,所詮はウンコしている人に過ぎない。そうだ,人生は脱糞なのだ。途切れなくウンコし続けることが生きるということなのだ。扉のシミや落書きを見続けることが生きることではない。それなら,便所の扉を開け放つことが人生の醍醐味ではないかと,終電間際の駅のホームでひらめいた。