ノマド探求

二次元移住準備記

ノマドワーカー再考。

日本から離れて生きるのもありかな,という漠然とした衝動に駆られて以来,職場を好きに選べる働き方を探している。そして,ノマドワーカーが流行になり,手っ取り早そうに思えたので流行に乗ることにした。一時の流行は過ぎたが,無職で暇を持て余していることもあり,ノマドワーカーとは何かを考えることにした。

ノマドワーカーの定義として,特別な雇用形態を指すものではなく,会社員なら会社,個人事業主なら自宅というような,限定された職場以外で仕事をする人を指すものでもない。居場所がないので外で書類整理をする会社員も,家だと子供が騒がしいので外でメールの整理をする自営業者も,等しくノマドワーカーではないだろう。高級ホテルや空港で仕事をする商社マンやメーカーの営業マンもノマドワーカーではない。さらには,Webサイトでアンケートに答えてポイントを集めているプー太郎も,ややノマドワーカーとは違う気がする。

私の認識では,ノマドワーカーは喫茶店などの公共の場で仕事をする人ではなく,スタバで仕事をしたいからスタバで仕事をする人達だ。家の近くのベローチェでもドトールでも談話室滝沢でも駄目なのだ。歩いて二十分ぐらいかかっても,駅前のスタバで作業ができなければノマドワーカーではない。これはノマドワーカーの条件であるとともに特権でもある。例えば新橋に職場がある会社員が,気分転換に会社近くの喫茶店で仕事や打ち合わせができても,美味しいゆで卵が食べたいからといって新幹線で二時間かかる名古屋の喫茶店で仕事はできない。しかし,ノマドワーカーであれば,ゆで卵を頬張りながら仕事ができるのだ。今日は表参道のスタバ,明日は羽田空港のラウンジ,明後日はバンコクのコインランドリーというように,好きな場所で仕事をする特権がある。

ノマドワーカーという働き方は生活様式までに昇華されたので,フリーターと違ってヒッピーと同じような扱いになっている。そこにはここは譲れないという,ある種の美学があるからだろう。お年玉袋を内職で作っている母親が旅行先の温泉旅館で作業をしていたら,それはノマドママンになるが,ノマドワーカーへの巷の揶揄や怨嗟からは無縁だ。なぜなら,ノマドママンは格好良くないし,温泉旅館で仕事をすることへの美学もない。揶揄や怨嗟は,好きな場所で仕事ができる特権への羨望と,その特権を誇示することの鬱陶しさによって引き起こされる。鬱陶しくないノマドワーカー,つまりはノマドママンこそが私が目指すところだ。