ノマド探求

二次元移住準備記

働き始めて心が筋肉痛になる。

働き始めて二週間が経った。半年間もプラプラしていたので、朝起きて電車に乗るだけで、すごい疲れた。

無職の時は、朝起きてからその日のことを考えれば良かった。雨が降っていれば家でゴロゴロし、晴れていれば外でゴロゴロする。今日は何をしようかな、と寝床で予定を立てるワクワク感は無職の特権だ。バックパックを背負って旅行をしている時も同じだ。今日はこの町を出てどこか他の町に行こうとか、もう一日この町にいて散歩しようとか、寝床に入ったまま考えていると、高揚感と開放感の入り交じった感覚が沸々と体の奥から湧き上がってくる。どちらにせよ、朝起きるのが楽しくて仕方がないのだ。

しかし、そんな生活に比べると、予定の決まった生活を強いられる緊張感は、朝の目覚めを憂鬱な時間に変える。朝起きた瞬間に、やらなくてはいけないことはすでに決まっている。その一つ一つを短い時間で済ませていくと、いつの間にか夕方になり、それから夜になって眠りに就き、また次の朝を迎える。この繰り返しがずっと続くこと考えると、週末でさえ憂鬱な気分になる。

無職を続ける中で、収入がない不安がいつも心の片隅に残っていたのは事実だ。だから、次の仕事が決まった時は少し安心した。仕事が決まってから働き始めるまでは、暇つぶしに働くかぐらいにのんきに構えていたが、実際に働いてみると、無職の頃の自由が無性に懐かしく感じる。大切なものをなくして始めてその価値に気づくことは多々あるが、私にとって無職の自由はその一つだ。労働するのが嫌なわけではない。予め決められたことを強いられる生活が苦痛でたまらない。ノマドブームが起きるぐらいだから、私と同じ価値観を持つ人は多いはずだ。

あと何年この生活が続くのか分からない。いずれは無職の自由を取り戻すことが目標だ。働く時間と場所を自由に決められる仕事に就くことができれば、無職の自由とは言えないまでも、そこそこの自由を堪能できる。しかし、派遣の仕事がなくなった末に無職なれば、そんな自由を堪能する余裕はなくなる。だから、朝気持ち良く目覚めたいのであれば、何かを始めるしかない。そして、その意欲を維持するためには、この疲労感に体を慣れさせては駄目だ。嫌な現実から逃れたければ、忘れたり誤魔化したりするのではなく、実際に行動を起こさなければ逃げたことにはならない。