ノマド探求

海外移住準備記

TOEIC道の果てに。

英語を勉強し始めて二十年に差し掛かろうとしている。思い返すと、コミュニケーションの道具としてその使い方を学ぶために英語の勉強を始めたはずなのに、いつの間にか学問の域すら越えてTOEIC道を極めるために勉強をするようになっていた。十五年間、TOIEIC道を歩いて分かったことは、必死こいてTOEICのスコアを上げても英語を話せるようにも書けるようにもならない。私個人の話なら、やっとこさ800点を越えたが話すこと書くことはおろか、英語でラジオを聴くことも新聞を読むことも難儀している始末だ。恐らくスコアが900点を越えても、TOEICはできるようになっても相変わらずラジオにも新聞にも難儀すると思う。

TOEICの勉強は英語の勉強の一部だ。英語で話すには英語で話す勉強をしないと駄目だし、英語でラジオを聴くにはラジオを聴く勉強をしないと駄目だ。それぞれ勉強方法は違う。そのため、最近になって意を決し、オンライン英会話を始めた。なぜ今まで始めなかったかと聞かれたら、TOEICの勉強の方が楽だったと答えるしかない。勉強方法を自分で考える必要はなく、参考書や問題集を解いていれば勉強ができる。スコアという数値で自分の実力が把握できるのも、勉強を続ける意欲につながる。スコアが伸び悩んで腐りかけた時期があったの事実だ。落ちる時は50点ぐらいバッンと落ちるし、5点、10点とジリジリとしかスコアが上がらない歯痒さは今も同じだ。600点、700点、800点の壁にもぶつかった。それでもTOEICの勉強を続けられたのは、とりあえず喫茶店に行って参考書を広げれば、勉強している気になれたからだ。

TOEICに限らず、資格や検定の勉強をしているうちは夢を見ることができる。まだまだ半人前なのだと屁理屈をコネて、実践の場から逃げる言い訳にできるのだ。この資格や検定に受かった暁にはと、根拠のない人生設計を思い描いてニタつく人は、私だけではないはずだ。資格や検定の勉強をして夢を見やすいのは、勉強方法が確立され何をやれば良いか分からないことが少ないからだ。例え勉強方法を誤っても、大きく外れることはないし、方向転換も微々たるもので済む。点数や合否という明確な答えが必ず出ることも、目標設定を容易なものにしている。それに比べ、英会話などはひたすら実践の場で経験を蓄積し技術を向上する以外に能力を伸ばすことができない。これをやれば大丈夫という確立された勉強方法もない。英会話の本を読んでも、それで英会話ができることは絶対にない。実践する中で個々人の経験則で勉強方法と目標設定は固まっていき、それも日々変わっていく。勉強方法ただ一つは、英語を話せないけど、とにかく英語で話すことだと、まるで禅門答のようなレッスンを続ける先に明確な答えは用意されていない。勉強方法が間違っているかもしれないと不安を抱えながらする勉強で、夢が見れるはずがない。

ここに来て私がTOEIC道から逸れ、英会話の勉強を始めたのは偶然ではない。英語を話す必然に迫られたからだ。いくらTOEICのスコアがあっても、英語でコミュニケーションを取れなければ意味がない。自分で事業を興す人がいくら立派な検定や資格を持っていても、それで金を稼げなければ意味がないのと同じだ。夢を見る楽しさを捨てる代わりに、自分の可能性を得ることはできる。現実を邁進する高揚感は夢を見ることでは味わえない。そう思わないとオンライン英会話を続けるのは虚しいし、つらいしでやってられない。