ノマド探求

海外移住準備記

求道心に震える。

日本人は勤勉なのだろうか。海外には旅行でしか行ったことはないし、日本に外国人の知り合いもいないので、他の国の労働者と比較することは私には難しい。車や家電、工業製品を作る技術力と道路や水道をまともに整備できる国力を考えれば、そこそこ真面目に勉強をしている人は多いと思う。それだけの人的資源をそろえるには勉強させるしかないからだ。

日本人が勤勉だとして、勉強する動機は一体何なのだろうか。自分を含め、知っている日本人を一般的な日本人と考えれば、知的好奇心と探究心が旺盛というわけではない。功名心とか色欲の煩悩とかに突き動かされて勉強に勤しんでいるわけでもない。何となくコツコツと勉強をする人がほとんどだ。この何となくコツコツが、恐らく何だかんだと言われながらも先進国の地位を維持できる日本の原動力だと思う。

私個人の話になるが、学生時代は学校の勉強が嫌いだった。授業中は妄想に浸っていたし、塾には通っていたが、まともに勉強をしたのは試験前の一週間ぐらいだった。今やっている検定と英語の勉強も面白いとは思わない。ただ学生時代と違い、休日が二日間あれば、そのうちの一日は家か喫茶店で参考書を広げている。自主的に勉強するのは、履歴書に書きたい理想の自分像があり、勉強をすることで理想を追う過程を楽しめるからだ。つまりは夢を見られる。それに勉強は面倒臭いが、やればやったで軽い運動をした後の心地良い疲労感に似た充実感も味わえる。

勉強をして夢を見ているのは日本人だけではないが、日本人は夢を見やすい精神構造を作る術を持っている。それが道だ。自己実現のために道を歩くが、理想の自分像は進むにつれて遠ざかり到達することはない。それはオルガズムに至らない自慰と同じで、絶頂への予感に身を振るわせながら何かを続けていくことなのだ。叶わぬ理想のために様式化された行為を反復する様は、薄暗い塔に籠りひたすら聖書を写生する修道士ではないか。実務の観点から意味のない検定や資格の勉強であっても、自慰の観点からは必要な行為になる。

私を含めて喫茶店で勉強している人の半分ぐらいは、こんな感じなのではないか。理想の自分像が現実の要請に合致する限りは、勤勉は役に立つ。しかし、それがズレてしまえば、TOEICはできても英語を話せない私のように、ちぐはぐな頭でっかちができあがる。そうならないためには、現実を見据えつつ夢を見ることが必要なのだろう。