ノマド探求

二次元移住準備記

OSなしのノートパソコンを探す。

Linuxで稼働するノマドPCを探している。ネットで探してもLinuxが載ったノートパソコンは日本で売られていないようだし、OSなしのノートパソコンもパソコン工房から15インチモデルしか出ていないようだ。PCを持って移動することを考えると、15インチよりも一回り小さいパソコンが欲しい。Windowsが付属したノートパソコンを買って、それにLinuxを入れればいいだけの話だが、Microsoftに貢のは嫌なので購入を渋っている。今度台湾に行った時、AsusかAserのOSなしモデルを探してみるつもりだ。台湾で買ったパソコンが日本でどの程度保証を受けられるか心配だけど、保証期間内に壊れたとしてもMicrosoftに貢よりは自分を納得させることができる。

Microsoftが嫌いなわけではない。職場ではWindowsを使っているが使い難いと思ったことはないし、OSにお金を掛けるのは当然のことだと思っている。それで動作は一応保証されるし、万が一の時はサポートを受けることができる。自分でOSを直す時間を節約するため、お金でMicrosoftからサポートを買っているのだ。しかしノマドワーカーを騙る以上、オープンソースの自由な哲学に倣いたい。資本主義から片脚を外し、宙ぶらりんの状態を宿望しながら、自分の商売道具を資本主義の権化に頼るのはいかがなものだと思う。これはMacを使っても変わらない。ジョブズ亡き今、アップルの尖った哲学は失われてしまった。まぁ、Macに載るOSXUnixなので尖ったも何もないが、それでもジョブズが健在だった時は、へそ曲がりの哲学というか熱意が資本主義を上回っていた。彼の数々の逸話は、何者にも迎合しない、自分の理想に賭ける男の意気込みを感じさせる。あのスタイリッシュなハードウェアとそれを動かすことに特化したOSは、男のロマンを象徴している。とは言っても、PowerPCを捨てintelのCPUになったぐらいから、Macは徐々に大衆に擦り寄っていった気がする。あの熱暴走を起こすCPUは、ジョブズの熱い血潮を送り出す心臓だったのではないだろうか。今のアップルは熟れた家電を作る、ただの大企業に成り果てた。アップルで働くことと砂糖水を売ることには何も違いはない。

資本主義から外れて生きようとすれば、満足に稼げなくなる。アナログを貫き清貧を極めるのも一興だろうが、貧乏人たるもの己の頭脳とハートでお金の力に対抗したい。必要は発明の母かもしれないけど、貧乏は工夫の母なのだ。ノマドワーカーの矜持は0円のLinuxを求める。カスタマイズしたOSで動かす格安パソコンは、自由を求めて改造車で荒野を突っ走るがごとくノマドワーカーの醍醐味となる。高級Unixパソコンを格安Unixライクパソコンに変えた時が、資本主義から距離を置いた真のノマドワーカーになる第一歩だ。

Linuxを使い始める時は、ポンとインストールするだけで動き、最初からGUIに必要な環境が整っているUbuntuが楽だった。昨年から試しに古いThink padにUbuntuを入れて使っている。エロサイトを閲覧する分には特に問題は見当たらない。そして、今年の夏にデスクトップパソコンのOSもLinuxにした。CPUとマザーボードを変えたらWindows7で動かなくなったので、OSをCentOSに変えた。WebブラウザーとSkypeしか使っていないけど、Amazonで買い物をしてオンライン英会話のレッスンを受ける分には問題はない。最初はネットワークインターフェイスの設定ファイル(/etc/sysconfig/network-scripts/ifcfg-***)にあるONBOOTの値がnoになっていて、これをyesに書き換えないとPC起動時にネットワークにつながらいなど、Ubuntuより少し手間はかかった。サーバー用途でPCを使う予定はないためCentOSでなくても良かったが、商用のサーバーを動かすOSがRHELなのは良くあることで少し色気が出てしまった。ちなみに縦書き用テキストエディターのTATEditorはCentOSに対応していない。これから徐々に手を加え、自分仕様のOSに仕上げていく。プロノマドになったら、尖ったArch LinuxのようなOSで格安パソコンを使いこなし、自由とデジタルガジェットの文化に貢献しようと思っている。