ノマド探求

二次元移住準備記

応用情報技術者試験をサボった。

今週の日曜日にあった応用情報技術者試験をサボった。試験勉強をしていないため、合格する見込みは薄い。それでも、全く合格する可能性がないわけではない。名前を書いて、適当に空欄を埋めて天文学的な観点から俯瞰すれば、合格する可能性はある。だから、直前までは試験を受ける意志はあった。試験をサボろうと決めたのは、夕方から夜までAPEXをしたら疲れてそのまま寝てしまい、はっと目が覚めた早朝だ。いや、サボろうと思ったわけではない。そのまま山登りに行ってしまい、畢竟、試験を受けなかったのだ。

一度決めたことは、それ相応の理由がない限り、やり通して結果を出す。それが悪い結果であろうと、結果を出すことはとても重要だ。例え不本意な結果であったとしても、それは次につながる。しかし、結果を出さなかった場合、私の場合はたいていはまた適当な理由を付けて結果を先延ばしにしようとする。逃げ癖が付くのだ。この逃げ癖は厄介で、逃げれば逃げるほど、戻りにくくなる。引き籠もりの期間が長ければ長いほど、社会復帰しにくくなる原理と同じだ。

電車に乗って通学していた学生の時、電車の中でよく、いつも降りる駅では降りず、その先にある見知らぬ駅で降りて町を探索する夢想に耽っていた。退屈な日常から逃避するには、それしかなかった。日常を変える意気地もないし、飛び出す度胸もない。ただ電車を乗り過ごしさえすれば、その先に新しい可能性が開かれると思っていた。それでも電車を乗り過ごす理由は何もなく、毎日、遅刻すれすれで学校に通っていた。電車を乗り過ごしたとしても、何も変わらない日常が続くだけだと思ってもいたのだ。

言い訳じみているが、IT業界への興味、強いては労働に対する意欲の減退が、今回の件を引き起こしたと思っている。海外にプチ移住する機会はコロナウィルスによってなくなり、さらには九月末で派遣の仕事を辞める機会もなし崩しでなくなった。職場も給料も変わらない。いつまで、平穏だが退屈な生活が続くのかと考えた時、手っ取り早く逃げる方法が、試験のサボタージュだったのだ。子供が親に反駁するような幼稚な手段だが、自分に素直に向き合えた瞬間でもある。呵責はあるが、なぜか心は快闊だ。