ノマド探求

二次元移住準備記

成人式の思い出。

成人式には出られなかった。二年目の浪人生活を送っていたため,進学している同級生と会うことで,行く末の分からない自分の人生を直視させられるのが辛かったのだ。何も悪いことはしていないし,浪人していることは恥ずかしいことではないのだから,出れば良かった。しかし,社会の隙間にスポっとはまり込み,身動きが取れなくなっている自分が格好悪くて仕方がなかった。また,社会から阻害されているような被害者意識もあった。

定まった生活を送っていないことで精神的に辛いことは,今でも度々ある。特に二十代の頃は,散々な目に遭うことが多かった。世間体に敏感なお年頃だが,自意識を圧し殺す術を持たないまま迂闊に社会と交わったことで,しばらく立ち直れないほどの屈辱を味わったことは一度や二度ではない。冠婚葬祭などで親戚と会った時に体裁が悪いとか,久しぶりに級友と再会した時に社会的格差を痛感させられるとか,社会から距離を置けば避けられることもある。実際に,二十代の後半までは身を潜めるように生活していた。

社会との距離を縮める転機となったのは,二十代後半から働き始めたアルバイト先に同じような生き方をしている人がたくさんいたことを知ったからだ。そこに加わることで居心地の良い社会があることも知った。もし,あの時の同僚と会っていなければ,今でも社会から遠く離れて生きていたかもしれない。そして,二十歳の頃にあのようなアルバイト先で働いていれば,成人式に出ていたかもしれない。人との出会いを含めて,どこでどう生きていくかというのは,幸せのあり方としてもの凄く重要なことだと思う。

ちなみに三浪までしたけど,大学には行くことはできなかった。

最後の正月になるはず。

今年の夏に移住計画を実行に移す予定なので,これが日本で迎える最後の正月になるはずだ。もちろん移住が失敗に終われば,また日本で正月を迎えることになるだろうが,海外に根付くことができれば,これが最後になるかもしれない。

正月休みは色々と移住計画を進めようと思っていたけど,遊んで終わってしまいそうだ。友達は少ないが,会いたいと言えば何とか時間を作って会ってくれる友達がいる。彼らとも今年の夏を境に,当分会うことはできなくなる。もしかしたら,これが今生の別れになるかもしれないと,遊んだ帰りに電車の中で感慨に耽ることもなく,何も深刻なことを考えずに正月を堪能した。ずっと晴れていたし,空しい気持ちにもならず,いい正月だった。

正月までに書き直そうと考えていた履歴書には手をつけることなく,正月に突入してしまった。アルバイトを転々としていたので,職歴をどうやって履歴書に反映させるかが課題だったけど,働いてはいないが遊んでもいなかったことを書いて,さらりと流すことに決めた。せめて人畜無害の趣味人でもいいので,人間性が伝わればそれで良しとすることにした。今更,フリーターの過去を塗抹しても,すべて真っ黒になってしまうので意味がないし。あと,SQLVBAの勉強をしようとしていたことに,正月休みの最後に思い出した。一時間ぐらいは参考書を開いて,それで意地を張ることにしよう。楽な方に流されていく意志の弱さは,いつまで経っても直らないな。

二十代の頃。

履歴書を書き直すため,二十代の頃に何をやっていたのか思い返してみる。そして,やはり,ほぼ記憶に残っていないことに気付く。

二十代の十年間は,働いてもいなかったし,遊んだもいなかった。何をやっていたのかと言えば,夢と言い切ることができない,おぼろげな何かを追うために必死で準備をしていたことだけは覚えている。だから,何をやっていたのか他人に伝えようとしても,いつも途中で辻褄が合わなくなり,支離滅裂な話になってしまう。結局,形としては何も残らなかったし,何をやっていたのか自分でも確かでない。それこそ,夢うつつに竜宮城にいたのと変わらない十年間だった。竜宮城で良い思いでもできていればまだマシだったが,煩悶と屈辱にまみれた屈折の日々だったから,さながら地獄巡りに近いのかもしれない。

この地獄巡りの最中に,世間体というものが,いかに人の目を濁らせるかを思い知った。日本人は無宗教と言われるが,この世間体の恐ろしさを味わえば,何かしらの強固な観念に基づいて社会が成り立っていることが分かるだろう。そして,日本で生きる限りは,その世間体から無縁でいられることはできない。二十代の頃は必死で抗っていたけど,四十歳を超えて,その気力もなくなってきた。移住に夢を託すのも,世間体の圧力から自由になるには,日本から離れてその束縛から逃げるか,圧倒的な資本力でそれを抑えるしかないからだ。ただ,十年間を抗い耐えたということだけは,誇りに思っている。あの頃は,まだゾンビではなかった。