ノマド探求

海外移住準備記

一人遊びに迷う。

相変わらず週末は家に篭っている。コロナウィルスへの警戒感は薄れてきたが、依然と友達を飲みに誘っても断られ続け、最近は観念して独りで時間を潰している。

Kindle Unlimitedの一ヶ月試用期間が終わってしまい、今はYoutubeでプラモデルを作る動画と子猫が遊ぶ動画を観て無聊を慰めている。Kindle Unlimitedは読み放題と謳っていても漫画は除外されているので、千円も払う価値はない。YouTubeは再生回数の少ない動画を観るのが好きだ。人のプライベートを覗き見ているようで、その背徳感がたまらない。プラモデルを作る過程を眺めて楽しむのは、理解できる。しかし、まさか自分が子猫の動画に癒やされるとは思ってもみなかった。やはり父性本能の目覚めが訪れたのだろうか。晴れた夜はジョギングもする。情報処理試験の勉強と英語の勉強は、やる気が起きず全くしていない。時間だけが無為に過ぎて行き、心も晴れない。何か夢中になれる趣味が欲しい。

自作PCを作ってオンラインゲームを始めるか、Netflixに加入してドラマを観るか、思いつくのはそのぐらいだ。燻製器を買って、燻製作りで時間を潰すのも良いかなと思う。しばらくリモートワークが続くので、ここは本腰を入れて趣味を探したい。

現実はドルフラングレンが教えてくれた。

神様はいない、いたとしても毎度祝福してくれるわけではないと悟ったのは、中学生の時だった。小学生から二十代前半まで、よく映画を観た。レンタルビデオを借りるお金は、お小遣いとは別に無制限にくれる家庭に育ったので、週に二、三本は映画を観ていた。劇場にもよく足を運んだ。ただ、レンタルビデオを借りに行くのとは違い、学則で禁止されていたこともあって、劇場に行くのは、ちょっとしたイベントだった。その日は、学校は休みで何も予定はなかったのだと思う。ふと、映画を観に行こうと思い立ったのだ。

目当てはダイハードの一作目で、冴えないおっさんが強盗相手にビルの中で孤軍奮闘する内容だ。私は当時から勉強も運動もできず、だからと言って開き直るほど自分に自信がないわけでもなく、でも道を逸れる度胸もない、ホラー映画だと序盤を盛り上げるために真っ先に殺されるような学生だった。学生カーストの下層で蠢いていた私は、天井裏を這いずりながら老獪な戦略と根性で敵を翻弄する主人公に強く惹かれた。新聞の映画欄を調べると、上映開始時間までは余裕があったが、劇場に行って時間を潰すことにした。劇場に着くと同じ劇場でミッドナイト・ランも上映していた。ミッドナイト・ランについては、テレビのCM以外に情報はなく、逃げるは心優しい犯罪者、追うは孤独な賞金稼ぎ、確かそんな格好いい惹句が頭に残っていただけだった。それでもロードムービー好きの私にとっては、必ず観るであろう映画の一本にも数えていた。ダイハードよりミッドナイト・ランの方が上映開始時間が早く、そこで私の心は大いに揺れた。今の中学校は週休二日制だが、私が学生の頃は土曜日の午前中は授業があり、日曜日はまる一日学校を忘れられる貴重な時間だった。ダイハードを観ようかミッドナイト・ランを観ようか落ち着かず、とりあえずブラブラと辺りを歩きながら考えることにした。

魔が差した経験を持つ人は、そこそこ多いと思う。それが大惨事を招くか、火傷で済むかは、程度の違いに過ぎない。傷の浅い深いとは別に、魔が差したために悔しくてもどうにもならないことがある。時間は巻き戻せないのだ。好きだったあの子に告白していたら、今頃はどうなっていただろう、そう思う時がある。それが分かるのは、学校を卒業して酒が飲める年齢になり、同窓会で再開した後だ。その時も同じだった。檻の中で肉の塊を前にして伏せる犬のように、思考が停止していたのだろう。ふと魔が差して違う劇場で上映していた他の映画を観てしまった。それがレッド・スコルピオンだ。ソ連と言えば国旗の色は赤、だからとりあえず邦題にレッドでも付けるか、そんな貧素なマーケティング戦略の対象となる映画は、レッドアフガンを除いて面白いはずがない。なぜ、ダイハードでもなくミッドナイト・ランでもなく、ドルフラングレンのイメージビデオを観てしまったのか、その理由は今でも判然としない。予想通りレッド・スコルピオンは冷めた餃子のような映画で、観終わった後の記憶はショックからか抜け落ちている。劇場を出た時は、ダイハードもミッドナイト・ランもとっくに上映が始まっていて、もう一本映画を観るだけの時間的余裕はなく、トボトボと家路についた。

しばらくして、レンタルビデオでダイハードとミッドナイト・ランを観た。なぜ映画史上に残る二本の傑作を劇場で観る機会をまざまざと逃したのか、なぜ肉の塊を目の前にして、冷めた餃子を食べてしまったのか、現実と自分を信じられなくなった。大人になるにつれて、幼児が持つ万能感も少しずつ薄れてくる。大多数の中学生と同じように私も童貞だったが、その時を境に確実に他の童貞よりは大人になれたと思う。その後も、ドルフラングレンは私にまといつき、ダークエンジェルで二度目の奈落に突き落とされるなど、因縁の敵となった。否、今振り返れば、彼は敵ではない。死という現実を教えてくれた死神のような存在だったのかも知れない。大病をして生の喜びを知る、それと同じだ。感謝はせずとも、恨む相手ではない。ニキビ面の擦れた中学生に、ドルフラングレンが現実を教えてくれたのだ。

オンライン英会話の私なりのコツ。

そろそろ応用情報技術者試験の勉強を始めるため、オンライン英会話を休止した。試験勉強と英会話の勉強を同時に進める時間的余裕はある。しかし、勉強に追われると集中力を欠いて身が入らなくなるのは、経験則から確信がある。だから十月までは、情報処理試験の勉強をのんびりやるつもりだ。

オンライン英会話のレッスンを受け始めてから二年が経った。最初はレッスンの受け方が分からず、色々と難渋した。最近になって、ようやくコツを掴めた気がする。日本語も英語も会話はキャッチボールが基本だ。それは英会話のレッスンでも同じだ。レッスンの進め方が上手い講師であれば、生徒が話しやすい状況を整え、ストレスがないように配慮してくれる。レッスンの始めは雑談で生徒の能力を測りながら会話を膨らませ、会話が萎んだらテキストを使ったレッスンに切り替える。もちろん、そのまま話が盛り上がれば、テキストは使わずに二十五分間、雑談を続ける。時間配分もバッチリだ。子供とキャッチボールをするように、話題を振って生徒からの発話を引き出し、良い塩梅に二十五分間、リスニングとスピーキングの両方を堪能させてくれる。しかし、そのような講師ばかりではない。 経験の浅い講師のレッスンを受ける時は、生徒も積極的に会話に参加しないと、単にテキストを読んで終わりの中身のないレッスンになる。一方的に話しかけられるのを待っていても、二十五分間も会話は続かない。これは日本語でも同じだろう。こうなると英語能力に加えて、コミュニケーション能力も必要になる。コミュニケーション能力を鍛錬する良い機会だと、前向きに会話を主導したいが、拙い英語で熟せる話題を探すのは、そこそこ難しい。

そこで、レッスンの準備として日頃のネタ探しが重要になる。また、一つの話題は何度も繰り返しレッスンで話すようにしている。最初は言いたい単語や表現が頭に浮かばず四苦八苦するが、何度か繰り返すうちに、それなりに単語や表現が身に付いてくる。だから、講師は毎回変えた方が良い。私はお気に入りの講師を十人ぐらいローテーションしてレッスンを受けている。そうすれば同じ話題を十回は繰り返し話せる。私が最近良く話す話題は、リモートワークで変わった昼飯とか週末の過ごし方とかだ。決して愚痴らないようにもしている。個人的な経験だと、同情の素振りはしても、会話は弾まない。誰も愚痴など聞きたくないし、プライベートな話題への言及を極力避けるよう、指導されているのかもしれない。雑談が盛り上がらなければ、テキストを使ったレッスンに流れるが、時間を持て余す時は、私は英単語の意味や使い方、違いを聞くようにしている。英単語の違いを確認し、使い方を例示してもらい、実際に例文を挙げて使い方が間違っていないか質問すれば、最低でも五分は時間を稼げる。これも何度も質問を繰り返すうちに、上手に聞けるようになる。

最初の頃は、結婚式の二次会で直接面識がない新郎新婦の友人との会話に混ざったような、行き場のない時間が苦痛で仕方がなかった。レッスンを楽しめるようになったのは、会話を楽しもうと心を切り替えてからだ。リモートワークで人との会話に飢えた時に加速した。普段は職場でしていた雑談を拙い英語で講師とするようになって、時間を持て余す機会は相当に減ったし、講師との距離もぐっと近くなった。