ノマド探求

二次元移住準備記

ビジネスモデルについて考えた。

小説を書く前に、企画をまとめて小説の母体となる企画書を作ることにした。高い顧客満足を得るには商品の完成度が重要になる。軸となる構想と設定を詰めないと失敗する公算が高い。

書きたいから小説を書くのではなく、お金を稼ぎたいから小説を書く。創作物ではなく商品を作る。ただ二匹目のドジョウを狙い、以前に売れた要素を適当に盛り込んだだけの安易な商品は作りたくない。買ってくれるお客さんを満足させて次に繋げる努力をしないと、結局は自己満足に終わり時間を無駄にしてしまうだろう。

版権ビジネスで不労所得を得ることが目的なので、小説はあくまで企画を世に出すための手段と考えている。小説が売れるに越したことはないが、企画が刮目される方が大切で、その後の商売の展開に関わってくる。手本とするのはガンダムを筆頭としたロボットアニメだ。プラモデルやフィギュアなどの売り上げで、小説に費やした時間と労力を回収できれば投資に見合う。

今考えているビジネスモデルだと、事業計画と一緒に企画を練り、その仕様書と設計図として企画書を作る。そして企画書を元にモックアップモデルとして小説を出す。また小説は企画の宣伝も兼ねる。小説は購買層の反応を探りスポンサーを獲得するのが目的なので、売れるよりも顧客の評価を得ることに重点を置く。適宜、客の反応は設定に反映させ、企画を洗練させていく。設定を曖昧した方が修正しやすいので、小説には設定のすべてを盛らず、世界観を具体化することに専念しようと思う。十分に企画を精錬させた後、収益を見込めるようであればアニメやプラモデルなどの派生商品を人様の金で展開する。儲けた金は肉の万世ビルの最上階で鉄板焼きを食べて、すべて私の腹に収まるという寸法だ。

20年前ぐらいから、一発当てたら肉の万世ビルで鉄板焼きを食べようと決めている。肉の万世ビルは死亡遊戯のように、階が上がるにつれて食事の値段も高くなる。ここを一階ずつ上がっていくことが、自身の成長を象徴するような気がするのだ。しかし相変わらず低所得だし当てたこともないので、いつも一階でパーコー麺を食べている。年々パーコー麺の値段が上がり、主役のパーコーが薄く小さくなっていくのが気がかりだ。世相を反映しているとしても、商売努力がパーコーに反映されていない。麺やスープの質を落としてでも、パーコーは大きく分厚くしてほしい。もっともパーコー麺の質は落とさずに、一緒に売っているおでんとかの質を落として補ってほしい。この辺は反面教師として、企画を考える時に反映させるつもりだ。企画のメインが貧相だと、商品に魅力がなくなってしまう。

不安に苛まれ始める。

昨年の九月末で仕事を辞めてから三ヶ月が経った。最近、将来への不安にジワジワと苛まれている。この不安は潮の満ち引きのように一日に何度か襲ってくる。プー太郎の時に割とよくある精神状態で、気は滅入るが悲嘆に暮れることはない。若い頃から場数を踏み、無職レベルが普通の人と違うことが幸いしている。

仕事を辞めた後、昨年の十一月末まではLPI101の勉強をしていた。勉強をしていると比較的簡単に不安を抑え込むことができる。十二月に入ったら入ったで、年が明けたら頑張ると自分に言い聞かせ、それなりに楽しい正月を過ごすことができた。そして、年が明けて正月気分が抜け始めた先週あたりから、不安と焦燥感で何をしても集中力が続かない状態になっている。

また派遣で働き始めたとして、派遣で働けなくなった後はアルバイトをして食いつなぎ、アルバイトもできなくなったらホームレスになるんだろうなぁ、という将来に対する不安。それから、今何かをしなければいけないのは分かっているけど、何をすればいいのか分からない、という現在に対する焦燥感。結局のところは、自分の将来とやっていることに確信が持てないから、こういう精神状態になるのだ。何か妙案を思いついても、すぐに別の妙案を思いつき翻意してしまう。これが無限に繰り返されていく。

LPI102に合格しLPICレベル1を取得してから仕事を探し始めようと考え、LPICの勉強を始める。そうすると猛烈に派遣の求人情報が気になり始める。LPICの勉強を中断し、派遣の求人サイトで求人を探し始めると、今度は小説を書き上げてから仕事を始めないと、一生派遣で終わってしまうのではないかという不安に駆られる。小説の構想を練り始めると、求職に備えてLPICの勉強をしなければと、また思い始める。そんな感じで、何かに手を付けると、すぐまた別の何かに手を付け始めてしまうのだ。そして、すべてが中途半端なまま一日が終わる。

こういう精神状態に陥った時の対応は人によって違うけど、私の場合は気が済むまで全部をやってみるようにしている。やろうと思ったすべてのことを同時進行で一遍に進める。それから、円滑に進むものがあれば、とりあえずそれを優先して進める。ただ、他のことが気になったら、それも同時に始める。そうこうしていくうちに、当面の間にやることは一つか二つに絞られるだろう。何か行動をしていると不安は退潮するので、取り扱いやすい。焦燥感の方が厄介で、我慢したり無視したりするとそれだけ増大してしまう。私の場合は、自分が納得するまで手を止めないようにしている。例えば、何か思いついたことがあれば、それについて調べて段取りをしてみる。実現する見込みと、それにかかる時間がある程度分かった時点で、今やるべきことが選別できる。思いつくことがなくなると予定が立つので、後は行動に移すだけとなる。

しかし残念なことに、これで上手くいくかというと大抵のことは上手くいかない。こういう精神状態の時に思いつくことは現実逃避が目的なので、大抵は実現する可能性が恐ろしく低い。鳥が上昇気流に乗っても大気圏を超えることができないように、現実の壁は越えることができない。現実を痛感し我に返った後、焦って軽率な行動を取るのがいつものパターンとなっている。

売れる企画を考える。

小説の構想を練っている。副業にするため、お金を稼ぐ手段として小説を書くのだ。どのような小説を書き、どう売るかを正月に考えていた。ちなみに未だに正月休みは続いていて、それが終わる目処は立っていない。

小説を元にクロスメディアに乗せたいので、最初からその狙いで小説を書く。小説を一つの媒体として、アニメ、ゲーム、フィギュアなどのクロスメディアとして展開できる企画を作るのだ。ガンダムのビジネスモデルが理想と考えているが、戦略として見習いつつも戦術は時代と規模に合わせたい。ガンダム以降に生まれたの数々のロボットアニメが、未だにガンダムブランドを超えることができない要因も考える必要がある。

とはいえ、元々初代ガンダムのアニメはプラモデルの宣伝のために作られていた。再放送しか観ていないけど、当時はクロスメディアの発想はなく、おもちゃ会社がお金を出してアニメを作るのは、自分たちの玩具を売るためだった。アニメの合間に流れるCMもプラモデルのCMだったぐらいだし。おもちゃ会社がスポンサーのアニメは商品開発の意向が如実に設定に反映されていた。ガンダム以降のロボットアニメにおいても、前半部と後半部で主役メカが交代するのは、販売のてこ入れのためだ。

初代ガンダムは映画にもなったが、どの程度の採算を期待したのか分からない。テレビで放映したアニメのダイジェスト版なので副産物程度の感覚だと思う。この時代には最終話は有料で観てねというえげつさはまだない。家庭用ビデオデッキとレンタルビデオが普及する前は、アニメは無料で観るものだったのだ。この時代でも小説を原作としてアニメや実写が作られることはあったが、最初からクロスメディアで展開することを想定した企画はなかったと思う。ビデオデッキが普及した後のOVAは、最初からアニメを商品として流通させることを目的としていたいが、今度は比重がアニメに偏ってしまった。小説もゲームもアニメが売れたので作った副産物の域を超えていない。そこまで展開するだけの予算がなかったのかもしれない。

メディアと制作環境の発達で、小説と漫画以外でも個人で勝負できる土俵は広がった。少し前までは小説ですら出版社を通さないと流通しなかったが、Amazon自費出版すればとりあえず流通に乗せることができる。ガンダムの事業戦略を見習うのであれば、小説を書き始めるよりも、最初に展開する媒体を想定し商品開発を優先させるべきなのだろう。ただ、これはただの企画ごっこで終わってしまう可能性が高い。ガンダムクロスメディアへの展開は時代の流れだったとして、個人の土俵に集中した方がいいのかな。