ノマド探求

二次元移住準備記

二十代の職務経歴。

去年の年末までに書き直すはずだった職務経歴書を,まだ書き直していない。働いていない時や短期のアルバイトしかしていなかった時ことを,どうやって書いたらいいか考えあぐねていたせいだ。何か仕事の役に立ちそうなことは書いて,経歴の空白を埋めようかと考えていたけど,何も書かないことに決めた。

二十代はまともに働いた記憶がない。短期のアルバイトを除けば,学校にも行っていないのでずっと無職だった。三十歳になる手前にコピー屋でアルバイトを始めるまで,半年以上同じ職場で働いたことはない。無職の間は何をしていたかと言えば,説明するのがとても難しいので,あまり話したことはない。今まで,何度となく説明しようとしたが,ほぼ自分語りになってしまう。恐らく同じような生活をして人でないと,分かってはくれないだろう。

遊んでいたわけではないし,引きこもっていたわけでもない。自分でも何をしていたのか記憶が曖昧なのが困ったところだが,確実に言えるのは,何かをしようとして,結局,何もしなかったということだけだ。宗教にはまったようなものだと考えている。天国に行くために必死に努力したけど,結局,天国に行っていない。では,その努力を認めろと言っても,天国を夢見たことのない人には分からないことだろう。だから何も書かないことに決めた。

買い物。

もともと物欲がないし,それに加えて面倒くさがり屋なので,生活用品以外の買い物をすることがほとんどない。服は通販で買うか駅ビルのユニクロで済ませてしまうし,電化製品はここ数年3DS以外は買っていない。私の周りには物欲を満たすことを働く動機とする人が多い。働く動機を得るため,あえて高額のローンを組む人も中にはいる。そうまでするぐらいなら,一層のこと働かなくてもいいやと思ってしまったので,長年フリーターを続けてしまったわけだ。

移住の準備をするため,荷物の整理というか処分を続けている。日本を離れる際にこれだは持って行こうという物だけを残して,あとは捨てるか売り払うつもりだ。持って行くといっても,荷物はバックパック一つなので携行品以外は残らない。そうするとスマホやラップトップなんかの小型の家電製品か,靴ぐらいしか金をかける物がない。極度の節制を求められるほど金がないわけではないので,景気づけに何か大きな買い物をしようと思い色々と物色している。日本を離れる時に持っては行けないが,三万円ぐらいのキーボードを買ってしまおうか,それともmacbookでも買ってしまおうか,迷っている。どちらも別に欲しいわけではないけど。高いブーツを買ってもいいが,移住先は東南アジアを考えているので靴なんて暑いだけし,どうせしばらくはサンダルを履く生活だ。でも,金を使って人間性を復活させたいので,何か買いたい物はないかと最近はAmazonなんかを良く見ている。

労働者階級の底辺として生き残るには。

四十歳を過ぎてなお,世間からは蔑視だけでなく,憎悪すら向けられるような生き方をしている。この先も正社員として働くことはないだろうし,働けるとも思っていない。良くて契約社員派遣社員,それが叶わなかればパートかアルバイト,そもそも働き口がなければサバイバル生活が待っている。

安定した会社で働き,家に帰れば家族がいて,上司や夫,父としての役割以外にも,それなりの社会的な責務を持っている,そういう類いの充実した生活を送ることは,もはや不可能だ。自分が持っていないものを持っている人に,怨嗟を向ける気持ちはさらさらないし,できれば充実した生活を送り続けてほしいと思うが,彼らに搾取されて肥やしにされるのもごめんだ。労働者階級の底辺で生きるからからこそ,上手く資本の波に乗り,それなりの生活を送るために処世術を身につけたいと思っている。

上級アルバイトなど色々と揶揄の対象にもなっているけど,需要があるうちは私にとっては派遣社員が最も安定した稼ぎ方になる。そして,派遣社員として働きながら,副業や不労所得などで小銭を稼ぐのが理想的な稼ぎ方だろう。派遣切りに遭わないためには,市場の需要に自身の商品価値を合わせる必要がある。何でもそつなくできるほど器用ではないし,自己投資できる時間も限られているので,これだけは押さえておけという知識と技術を身につけたい。

今働いているIT業界は,常に勉強し続けていないと商品価値が下がっていく業界だ。漫然と働いているだけでは現状維持すら難しい。逆に言えば,労力が報われなくても腐ることなく,淡々と勉強し続けていれば,何か大きなチャンスを掴むことができるかもしれない。もちろん,何も報われないかもしれないが最悪でも現状維持は期待できるだろう。英語などの語学も勉強し続けないと能力は下がっていくが,数年前,下手すれば半年前の参考書がすでに時代遅れとなることが決定的に違っている。三年前に出版された版の参考書で勉強することは,つむじの辺りが薄くなっているのに,一生懸命テクノカットのもみ上げを手入れしていることに等しい。