ノマド探求

二次元移住準備記

処分に困るゴミ。

個人情報の記載された書類の捨て方に困っている。役所からの書類とかクレジットカードの明細とか,普通にゴミとして捨てるには躊躇するものが大量に溜まってきた。前の職場だと,シュレッダーの代わりに人を三,四人ぐらい監禁できる大きさの機密書類専用ゴミ箱があって,そこにこっそり家から持ってきて捨てていた。今の職場はしょぼいシュレッダーしかないので,どうやって捨てようか考えている。

見られて恥ずかしいようなゴミの処分も進めていかないと,家を引き払うまで残ってしまいそうだ。日記は実家に残していくし,写真の類いは一枚もないが,ハードディスクはどう処分すべきだろうか。ハードディスクの処理業者が横流ししていたケースもあるし,自分で処理するしかないのだろうか。

相変わらずの連休。

今の職場ではカレンダー通りに働いているので,この五連休は休みだった。そして,特にどこに行くわけでもなく,毎年のように独身の友達と飲みに行って終わった。結婚した友達とは,もう久しく会っていない。彼らが家族と過ごす時間が多くなるとともにつれ,疎遠になってしまった。

四十を超えて独身だと,給料はすべて自分のために使えて贅沢な遊びができるはずだ。しかし,独身の友達にはまともに働いている奴がいないため,当然しょぼい飲み方になる。私を含めて独身者は人間性が似通っていて,とにかくゆるいことを好む。良い給料を稼いで贅沢な遊びをするぐらいなら,楽な仕事をして安居酒屋で飲むことを選ぶのだ。社会に参与するには金を使わざる得ないから,金を稼ぐほど,その人の社会性は濃くなる気がする。冠婚葬祭は言わずもがな,同僚と飲みに行ったり,恋人とデートしたり,何かにつけて金はかかる。安定して金を稼ぐしかないので,社会性のある人ほど正社員で働いている。そして,正社員で働くことの延長には,結婚して家庭を持つことがあるようだ。まともに働いているから結婚することと,結婚しないからまともに働かないことは,実は同じことなのではないかと思う。結婚できるできないではなく,するかしないかの問題として。

この連休中もそうだが,一生独身のまま生きていくことがどういうことなのか,感覚として分かるようになってきた。仕事帰りに食べる牛丼はまだいいが,休みの日に一人で食べる弁当ほど不味いものはない。独身のまま死んでいくのは,やはり寂しい人生だと思う。ただ,やり直すことはできないので,寂しくないように何か違う生き方をするしかない。その生き方を模索しているところだが,そんな生き方はあるのだろうか。

下層ノマドとして生きる。

時間も場所も選ばす,好きな時に好きな所で働くことができる特権的ノマドもいれば,私のように単に仕事が長続きせず,職場と勤務時間が頻繁に変わらざる得ない下層ノマドもいる。後者の場合はおしゃれな喫茶店や自宅が仕事場ではないので,ノマドワーカーの部類には入らないかもしれないが,社会的な縛りを逃れて生きるという意味では同じ部類だと思っている。

養う家族と家のローンが残っているにもかかわらず不本意なまま失職し,糊口を凌ぐために倉庫番や交通整理のバイトしている人をノマドとは言わない。下層ノマドは,そういうプラプラした生活を自ら選んでいるプー太郎やフリーターだ。やれ氷河期世代だ,やれブラック企業だと世の中のせいにしてみても,そもそも本人に仕事をする覚悟がないのだから,どんな仕事をしても長続きするわけがない。そして結果的にノマドになってしまう。私も含めて下層ノマドが要求するのは,安定した正社員の職ではなく,時給2500円のアルバイトなのだ。だから,いくら国とか他人が職を斡旋したり,職業訓練を施したところで,それを受け入れることはないだろう。

生きていくためには,働かなくてはいけないことに変わりはない。たくさんの収入を得て人生を楽しみたいのは,下層ノマドも等しく思うことだ。しかし,今のように,二,三年で職場を変わる生活を続けながら寿命を全うするためには,大金を稼ぐ職能よりも食いっぱぐれない職能を身につけることが必要になる。何でもできる必要はない。何か一つ,周りの人よりずば抜けた能力があればいい。もちろん,いつでも寝られるとか何でも食べられるとか,そういう類いの能力ではなく,汎用性と求職市場で需要のある能力だ。そうすれば,スタバは無理だとしても,新宿のどこどこの会社とか職場だけは選ぶことはできるだろう。また,最悪,職場を選ばなければ飢えることもないだろうから,万が一の保険にもなる。しかし,四十歳を超えると,おしゃれな喫茶店でMacを広げて仕事をするか,漫画喫茶で鼻くそほじくりながら暇を潰すかの違いは大きい。