ノマド探求

二次元移住準備記

オンライン英会話の教材について。

オンライン英会話の教材がしょぼい。レアジョブというオンライン英会話の会社が作成したビジネス英語用のオリジナル教材を使ってレッスンを受けているのだが、レベル4から始めて60コマ全てやり終えたので、最近一つ上のレベル5の教材を使い始めた。レベル5に上げた途端、教材の内容がペラっペラになり、レベル4の勢いでレッスンを進めると一回のレッスンで2コマ進んでしまう。最速一ヶ月で終る。レベル4とレベル5の難易度の違いもよく分からないし、レベル4で勉強した内容をもう一度繰り返している気もする。ゲームで色違いのボスが出てきた時のようながっかり感だ。

私は座学だけでしか英語を勉強していないので、教材で使われる英語の表現が自然か不自然かが分からない。だから教材を信じて勉強するしかないが、教材を作った人が実際に会社で働いた経験はあるのだろうか。帰国子女がアルバイトで作っている可能性も捨て切れないぐらい手作り感満載の内容だ。文法とか単語とかの間違いは調べればすぐに分るが、その表現が自然か不自然かは英語を使って仕事をした経験がないと分からない。相当の社会人経験がある人でないと教材を作れないと思うが、どうなんだろう。教材を作成した人の経歴をきちんと紹介して欲しいところだ。

レベルが違うことによる難易度の設定も説明が欲しい。旅行用の英会話で例えれば、ホテルへのチェックインがレベル1なら、連泊したいと伝えるのがレベル2、タバコ臭いので部屋を変えて欲しいと頼むのがレベル3というように、コミュニケーションの難易度を考慮して欲しい。せっかく講師を相手に英語を試すことができるのだから。

半年ぐらいレッスンを受ければ改善点が固まると思うので、そうしたらレアジョブに具体的な要望を出してみようと思う。 

PCの中身を入れ替えて一ヶ月が経った。

オンライン英会話の学習環境を整備するために、マザーボードとCPUを交換してから一ヶ月が経った。マザーボードはZ370の廉価版であるH370、CPUは最新の第八世代Core i3に交換した。ブラウザーを複数起動した状態でSkypeで講師と会話しても安定して稼働できるマシンスペックはそろえた。ネットワークも有線でつないでいる。Skypeで会話中にたまにノイズが入ったり途切れたりするのは、フィリピン側のネットワークが不安定だからだ。

ブラウザーを複数起動するのは、教材のpdfファイルとディスカッションパートで話す内容をメモしたGoogleドキュメントを別々のウィンドウで開くためだ。それにもう一つのウィンドウでレアジョブのWebサイトを開いている。前に使っていたマザーボードとCPUで複数のブラウザーを起動しても動作の問題はなかったが、skypeとcallnoteという録音ソフトを同時に起動するとメモリーを2GB後半まで使ってしまうので、メモリーを4GB以上に増やすために新しいマザーボードとCPUに交換したのだ。しかし、新しいマザーボードの規格だとWindows7が起動せず、ひとまずCentOS7を入れて使っている。callnoteはLinuxに対応していないので、マザーボードとCPUを新しいものに交換した意味はなくなってしまった。

今後の予定として、KVMを使い仮想環境でWindows7が動くか試してみるつもりだ。駄目なら英会話のレッスンを録音する方法を何か考える必要がある。Windows10を買う予定はない。三万円台のノートパソコンを新しく買って、OSをUbuntuに入れ替えて使うつもりなので、Windows10が付いていればそれを使い回そうと思っている。昨年から格安ノートパソコンにubuntuを入れノマドPCとして使うことを考えていて、かなり前に買ったレノボthinkpadubuntuを入れて動作確認をしていた。問題はなさそうなので、年末ぐらいにノマドPCを持ってスタバデビューするため、次はノートパソコンを買うつもりだ。

求道心に震える。

日本人は勤勉なのだろうか。海外には旅行でしか行ったことはないし、日本に外国人の知り合いもいないので、他の国の労働者と比較することは私には難しい。車や家電、工業製品を作る技術力と道路や水道をまともに整備できる国力を考えれば、そこそこ真面目に勉強をしている人は多いと思う。それだけの人的資源をそろえるには勉強させるしかないからだ。

日本人が勤勉だとして、勉強する動機は一体何なのだろうか。自分を含め、知っている日本人を一般的な日本人と考えれば、知的好奇心と探究心が旺盛というわけではない。功名心とか色欲の煩悩とかに突き動かされて勉強に勤しんでいるわけでもない。何となくコツコツと勉強をする人がほとんどだ。この何となくコツコツが、恐らく何だかんだと言われながらも先進国の地位を維持できる日本の原動力だと思う。

私個人の話になるが、学生時代は学校の勉強が嫌いだった。授業中は妄想に浸っていたし、塾には通っていたが、まともに勉強をしたのは試験前の一週間ぐらいだった。今やっている検定と英語の勉強も面白いとは思わない。ただ学生時代と違い、休日が二日間あれば、そのうちの一日は家か喫茶店で参考書を広げている。自主的に勉強するのは、履歴書に書きたい理想の自分像があり、勉強をすることで理想を追う過程を楽しめるからだ。つまりは夢を見られる。それに勉強は面倒臭いが、やればやったで軽い運動をした後の心地良い疲労感に似た充実感も味わえる。

勉強をして夢を見ているのは日本人だけではないが、日本人は夢を見やすい精神構造を作る術を持っている。それが道だ。自己実現のために道を歩くが、理想の自分像は進むにつれて遠ざかり到達することはない。それはオルガズムに至らない自慰と同じで、絶頂への予感に身を振るわせながら何かを続けていくことなのだ。叶わぬ理想のために様式化された行為を反復する様は、薄暗い塔に籠りひたすら聖書を写生する修道士ではないか。実務の観点から意味のない検定や資格の勉強であっても、自慰の観点からは必要な行為になる。

私を含めて喫茶店で勉強している人の半分ぐらいは、こんな感じなのではないか。理想の自分像が現実の要請に合致する限りは、勤勉は役に立つ。しかし、それがズレてしまえば、TOEICはできても英語を話せない私のように、ちぐはぐな頭でっかちができあがる。そうならないためには、現実を見据えつつ夢を見ることが必要なのだろう。