ノマド探求

二次元移住準備記

やばくなったら三十秒で高飛び。

常に最悪の事態を想定して行動する楽観主義者。これが私の理想像だ。それは常に逃げ道を用意して生きる生き方を意味する。退路を断って覚悟を決める生き方も、それはそれで素晴らしいとは思う。私のような優柔不断な人間は、そうでもしなければ何も行動を起こさないだろう。現にうだうだと移住の準備を進めながらも、一向に移住する気配はない。陰毛に白髪が混じる年になっても、いまだに何かの準備をしつつ夢を見て過ごす毎日だ。だが生活に窮迫せず、夢を見るだけのゆとりを持てるのは、常に退路を用意し、危急時には緊急退避してきたからだ。精神的にも金銭的にも常に逃げ道を用意していたからこそ、好き勝手に生きても致命傷を負わずに済んだ。

一か八かの勝負に出て致命傷を負い、その後消息不明となった友人が何人かいる。十分な軍資金もプランBも用意せず、時機に賭け趨勢に乗ろうとしたが上手くいかなかった。こういう場合にもしかしたらは禁忌だが、あと少し続けていればとか、一度退いてから頃合いを計ってもう一度とか、そう思う時が時たまある。周りの人の諌止を振り切って、無謀とも思える行動に出た彼らを、馬鹿な奴らだと嘲笑するつもりはない。それは、その時に彼らが選んだ最もベストな選択なのだ。身を挺して勝負に出た者に憐憫の情を持つどころか、一か八かに賭けたその覚悟は尊敬に値する。ただ、現実的な戦略を考えれば、やはり退くだけの余力は残すべきなのだ。チャンスは計算できるものではない。確かに準備不足でも勝負しなければいけない時はある。それでも敢えてそれを看過し、準備を進めながら次のチャンスを待つ思慮も必要ではないかと思う。常に逃げ道を用意しておけば、土壇場まで踏ん張ることもできる。ここで負けても、とりあえず逃げればいいやと思えば、精神的な余裕ができ、諦めずに勝負を粘れる。どこにも退けない、それをやるしかない状況では、すぐに白旗を振る人間は精神的な重圧に耐えられずに、すぐに勝負を投げてしまう。最悪の状況に陥ったケースを思い描いた方が、現実に裏切られることはないので精神的に楽なのだ。思い描いた通りに、ドツボにはまる覚悟が持てる。

仕事で責められたり悩んだりして自殺した話を聞くと、仕事が嫌になって現実が苦しくなったら逃げてしまえと、いつも思う。そんなに自分の生き死にを賭けられるほど大切なものが、多くあるとは思えない。いきなり失踪されたら残された者はたまったものではないが、次に会った時に謝るか借りを返せばいい。死んでしまったら、どちらもできない。好きな映画に、やばくなったら三十秒で高飛びするというセリフが出てくる。ちょっと意味合いは違うが、このセリフは私には箴言となっている。逃げ道の用意は最上の危機管理だ。やばくなったらバックパック一つですぐにドロンパも、とても有効な危機管理の手段だと思う。致命傷さえ負わなければ、次のチャンスが待っている。そこでやり返せばいい。