ノマド探求

二次元移住準備記

夜勤の思い出。

今の監視の仕事は輪番制で、日勤と夜勤が交互に回ってくる。体はきついが、実は夜勤で働くのは好きだったりする。昼間に働く時と違うノリが夜勤にはあるのだ。深夜帯に限らず、お盆や正月などの連休中も普段と違うノリになるけど、この場合はハレの高揚感が強い。普通の日の深夜帯は高揚感の代わりに倦怠感が強く、同僚と話す会話も昼間とは違い、時として哲学的な趣向を帯びる。

三十代の頃は、コピー屋で夜勤のアルバイトを長いことしていた。私が働いていたコピー屋はかなり弛い職場で、それ故、他の職場では働けないような魅力的な社会不適応者がたくさんいた。店長に営業、一人か二人の社員を除いて、店で働く人は私と同じフリーターだった。年齢層も他の店舗の人から珍しいと言われるぐらいまとまっていた。趣味や本業に費やす時間を確保するためにアルバイトで働く境遇は同じだし、同世代の気安もあって皆仲が良かった。

このコピー屋で働くまでは、自分の普通ではない生き方に息苦しい思いをしていた。同年代の友人や知人は、職場では中堅としての存在感を持ち始め、また結婚して家庭を持つ人も少なからずいて、それなりに人生が充実しているように見えた。それに比べ、私は学校を卒業してから定職も就かずにダラダラと寿命を浪費し、遊びに行く友人すらおらず、何も進歩していなかった。何かをやりたい衝動を抱えながら、実際には何をすれば良いのか分からない苛立ちがあった。まだ何も形に残せていない焦りにも疲れ始めていたと思う。悪いことをしているわけではないので恥じることはなかったが、自分でそういう生き方を選んでしまった自己嫌悪は根が深かった。環境や誰かに強制されたわけではなく、責任転嫁もできずに自分を恨む日々が続いていた。コピー屋の夜勤は忙しいことが珍しいぐらい暇で、出勤しても何も仕事がない時もまれではなかった。それに仕事は頭を使わない単調な作業がほとんどだった。やることもないし帰ることもできない、そこにいるだけの時間が常にあった。皆、私と同じように葛藤を抱え、それでも自分の可能性を思い描くことで、正気を保っていたのだろう。暇潰しや気分転換に始めた雑談が、夜勤のノリに合わせて思いもかけない深い話になることが多々あった。

コピー屋でアルバイトをして幸運だったのは、生まれて初めて働くことの喜びが分かったことだ。同僚よりも同志に近い、話が通じる人達と知り合えたのが初めてだった。そこで話した内容はもう覚えていない。ほとんどの同僚とも連絡が途絶えてしまい、その消息は不明だ。しかしコピー屋の思い出は、この世のどこかに自分がいても良い場所があるはずだという希望につながっている。