ノマド探求

二次元移住準備記

ニートな時間。

平日は敗戦処理のような仕事に追われ、その反動で休日は家でグダグダ過ごしている。あっという間に一週間が過ぎてお金を使う暇はなく、何に使おうか考える気力も起きない。もはや何のために働いているのか分からず、こんなはずではなかったと思う。しかし、それは働ける仕事先があり、お金を稼げている人間の贅沢な不満なのだ。長年働いていたコピー屋のアルバイトを辞め、IT業界で働き始めるまで、一年ぐらい短期のアルバイトで食いつないだ時がある。その時も定職に就くつもりはなかったが、このままどうなってしまうのだろうと不安だった。あり余る時間を楽しむ心の余裕はなく、不安と焦燥に煽られて呆然としていた。将来の保証がない状態では、金が減っていくのを憂慮しながら、家に籠もって不安と焦燥を耐え忍ばざる得なかった。今ではバックパックを背負って海外旅行に行くか、何か時間がかかる遊びをすれば良かったと後悔もする。

ニートを楽しむためには、ある程度、将来が保証され、今後の見通しが立っていないと厳しい。身分は無職のうつけ者で、経済的に貯金や親に依存する不安定な状態ではあっても、近い将来、その状態を払拭できる可能性を持っていれば、ニートを楽しめる。若さは、その可能性の一つだ。若ければ若いほど、やり直しが利く。学歴も職歴もなくても、どうにかなる。ニートの状態が続いていても、二十代後半ぐらいまでなら、その若さに可能性を見出してくれる人はいる。それが三十路を超すと若さだけのアピールはちょっと厳しく、他の可能性も匂わせたい。それでも私が働くIT業界であれば、未経験のニートでも職場を選ばなければ、三十路越えでもまだまだ行ける。基本情報技術者CCNA辺りを手土産に持って行けば、モアベターだ。検定や資格の取得も可能性を広げる手段の一つなのだ。四十近くのニートになると正攻法で仕事を探すぐらいなら、検定や資格と一緒に短期派遣などで実務経験を積み、ゲリラ戦を展開してジワジワと業界に浸潤したい。

幸運にも実家でニート状態を許してくれる親ガチャに当たったのであれば、その時間は大いに楽しんでも良いと思う。両親はスポンサーなので彼らへの配慮は然るべきだが、それ以外の親族などの部外者には何の遠慮もいらない。否定的な目で見られたり、それこそ讒言を直接聞いたりすることもあるだろう。ただ、気にしたところで何の得にもならない。そのうち学ばざる働かざる得ない時が到来するのは、ニートである本人が重々承知だ。親の金を浪費して家族の生活を傾かせるような狼藉は論外だが、無駄な時間を思う存分に楽しんでも罰は当たらない。自室に籠もってゲームなどの趣味に没頭しても良いし、それこそ世界一周貧乏旅行に行くのも良い。私がニートだった時は、食って寝ての合間に哲学書を読み漁っていた。友人が就職や結婚をして人生を謳歌する中、ひたすら生きる目的、人生の大義と意味を探していた焦燥感だけが記憶に焼き付く。これは、典型的なニートの失敗例だろう。