ノマド探求

二次元移住準備記

旅するノマドワーカー。

コロナ騒動で派遣社員として働く職場でもリモートワークが促進され、四月からずっと自宅で仕事をしている。自宅でのリモートワークが暗黙の了解となっているが、安全で安定したネットワーク環境さえ確保できれば、自宅以外でも仕事はできる。派遣先から貸し出された作業用PCは、可能な限り携行して移動しないように指示されている。どこか避暑地にセカンドハウスを借り、そこからリモートワークをする分には黙認してくれそうだ。しかし、旅行をしながら仕事をするノマドワークは、今の職場では絶対に許されない。

いつかノマドワークが実現した際の参考に、たまにノマドワーカーと称する人達のブログを読む。彼らの多くは、それが旅行ではなく、旅である点を特筆する。個人的な印象では、旅行は行って戻ってくる往復が前提で、旅は出発しても戻りは考慮しない片道切符だ。旅行はその行程を楽しむ娯楽であり、旅は求める何かを探す手段となる。そこが肥沃の地であっても、旅するノマドワーカーは定住を選ばない。その旅に終わりを求めていない。居住地を定めずに働きながら漂泊する彼らは、その地に長期で滞在はしても根は下ろせないのだ。例え、そこが母国であっても。労働ビザの取得など現実的な問題は抜きにして、根を下ろせない理由がある。可能性を留保し、いつか払う代償を先延ばしにするためには、常に終わりのない旅の途上にいるしかない。おにぎりを求めてさすらう、腹を空かせた裸の大将のように。

旅に終わりはないが、司法試験を受け続ける中年司法浪人生のような悲壮感は感じない。その代わりに、どこか世間に対する後ろめたさを感じる。彼らの経済活動の実態は、ブログをどれだけ読んでもイマイチ分からなかった。Webデザイナーやライターなど、PCが一台あればできる仕事に就き、堅実に稼ぐノマドワーカーもいるとは思う。ただ、経営者や投資家を謳われ始めると世界観の違いを感じる。実態はヒッピーなのだろうが、意味不明な和製英語を駆使してノマドワークを鼓吹する姿に、ニートやプー太郎が受ける社会的制裁を回避したい想いがチラホラと隠顕する。かく言う私もプー太郎歴は長いので、その気持ちはよく分かる。旅するプー太郎への世間の目は、普通の人が思うよりもはるかに冷たく厳しい。

実際に仕事場を選ばずに仕事ができる人は、あえて自身をノマドワーカーとは言わない。そういう人には、もっと相応しい職業人の呼称が用意されている。宙ぶらりん状態を絶妙な平衡感覚で維持できないノマドワーカーは、巧妙なロジックを命綱に旅を続けるしかない。しかし、そのロジックに頼れば頼るほど社会復帰は難しくなる。金を稼ぐ手段以外に、自身の存在意義と体裁を取り繕う手段を職に求める辺り、日本人に特有な気がする。売れないミュージシャンが死ぬまでロックスターを目指さざる得ないように、ノマドワーカーの旅は終われないのだろう。